ハンディキャップはあるもの

子供を失った

仕事を失った

怪我で体の機能の一部を失った。

何かを失った事はあるだろうか。

もちろん、誰しも何かは失っているのだ。

しかし、何も得てなどいないし、失ってもいないのだ。

元から全てを持ち合わせているのにも関わらず見えていないだけなのだ。

それが見えたから”得た”。

目に見えなくなったから”失った”。

それだけのことなのだ。

ハンディキャップは誰しもある事だ。

何か奇形を持って生まれてきて手足がなかったりする人もいるだろう。

うちの子の場合は内臓が一部ない状態だった。

だがしかし、五体満足に生まれてきた人は他の人に比べて何かを失っていないといえるだろうか?

たとえ、見た目が完璧に生まれているかの様に見えても、それは完璧ではないのだ。

人とうまく付き合えなかったり、自分の意見をはっきり言えなかったり、他人の気持ちを汲み取レなかったり。

腸が短かったり、心臓の機能が弱かったり。

直接見えないところにも何かしらそういうハンディキャップはあるものだ。

完璧な人などいない。

不完全が一番美しい。

ハンディキャップがあるからこそ、人は強くなれるし、美しい。

ここで問うとする。

何ための人生かと。

ハンディキャップこそが人生の醍醐味であり、それ自体が人生だ。

物事が100%うまくいく人生、何もトラブルのない人生がつまらないからここにいるのではないか。

何事も起こった事は起こるべくして起こる。

それが楽しみであり、人生の醍醐味というものだ。

人が死んだら葬式をしてちゃんと悲しむ。

何かの試合で勝ったらちゃんと祝福する。

裏のことをわかってこそ、表のことをちゃんとする人間は本当の人生の楽しみ方をわかっているのだ。

裏で起こった事は、必ず表でも起こる。

もし、自分のことを大切にしたいのであれば。

他人の言葉を引用するな。

どんなに良い言葉だったとしても。

他人の言葉に左右されるな。

どんなにすごい言葉を投げかけられても、揺るがないこと。

まずは自分で自分を認めること。

そして、許すこと。