目の前の課題が今大切なこと

今日は「KU-KAI」という空海の映画を見に行ったのだ。

なぜそれに至ったのかと言うと…、

数日前、普段はつけないテレビの電源をつけたら、たまたまKU-KAIの映画予告がやっていて、「見たい」と感じ、”これは見ておいた方が良い”と印象を受け、

今日、映画に行く予定はなかったのだが、子供を実家に預けて遊んでくれる都合がつき、

さらに、嫁が暗くなっていたので、映画でも見に行って元気出してもらおうかな、と感じ映画に行く、

そしたら、到着時刻にちょうどやってる映画が「KU-KAI」であり、観るに至った。

これは全て偶然なのではない。

すでに、テレビで映画予告を見たときに感じた”これは見ておいた方が良い”は間違いでは無かったのだと感じたのだ。

日々、そういう感覚って大切だなと感じずにはいられない日々なのだ。

「KU-KAI」の感想だが、(ネタバレなし)

まず、良かった…

映画は今その人にとって必要かどうかで、良し悪しが決まるところがあるので、

良いと言う人と良くなかったと言う人がいて当然であり、私が良かったからと言って万人が良いと思うことはないと言っておこう。

つまり、今の私が忘れていたことを思い出させてくれたのだ。

だから良かった。

皆さんもそれぞれの、今の現状にピンとくる映画はそれぞれあると思う。

”観たい映画”を”何かのメッセージ”だと思って鑑賞するとまた違った面白さがあるのだ。

今回良かったと言っているのは、ストーリーとか演技、演出というよりも、そういうメッセージ性があったから、私にとって良かったと思えたのだ。

「KU-KAI」では、私の過去性に絡めてメッセージを受け取ったのだ。

これからは映画の話ではなく、私の過去の話になる。

私はもともと僧侶タイプで、厳しい瞑想や断食、自然に耳を傾ける生活が大好きであり、お寺で生活することも他の人よりかは受け入れが早い。

しかし、今の現状ではお寺で修行もしていなければ、精進料理も食べていない。

本当にお寺での修行が必要であるのなら、今頃はお寺で生活するように勝手に人生が動いていただろう。

それでも、今はお寺とは無縁である家庭で育てられ、自分の家族を持ち、家事をしながら育児、仕事をしているのだ。

過去生で、お寺で修行に励んでいたことをいくつか思い出す。

山に篭ってばかりが修行ではない。

今の修行はもっと厳しい、一般世間の中で上手に生きるという修行なのだ。

相手は鏡。

相手は自分。

とは、よく言ったものだがまさにそうである。

山に篭っていても、一般世間の中にいても、結局は自分を見つめ直すことに変わりはないのだ。

相手の心に触れて、その人の世界に触れ、見聞を広める。

相手の気持ちになって発言をすること。

こう言ったら相手がどう思うかな?と考えたり。

相手の歩く速さに合わせて歩いたり。

何か暗い顔をしていたら、どうしたの?と声をかける。

そんな当たり前のような人への気づかいを疎かにしてはならないのだ。

気持ちが内面、内面に行くよりもまずは目の前に見えていることを大切にすること。

瞑想は大切なことだ。

しかし、2人で出かけている時に1人で勝手に目を閉じて瞑想を始める人は一緒に出かけているという事を大切にしているのだろうか?

(↑私の失敗談。私は2人で出かけていても自分の世界に入ってしまうことはある笑)

(違う例えで言えば、2人でいてもスマホのゲームで遊んでいるような)

しっかり相手を見るということ、そういう心がけがその時に一番必要な瞑想方法だったりするのだ。

力が欲しいからと言って、エネルギーや法力を求めるばかりに内に内に籠り、力のみを求めるのではない。

(↑私の失敗談。私は力のみを求めた経験あり笑)

この世界に生きる限り、世間としての適応を果たすということは求めている力の幅を広げるのだ。

何も、強いエネルギー、法力だけに限ったことではない。

新たな知識や仕事のチャンスを求めるばかりに、籠って勉強ばかりしていてはその力を発揮する目的や意義を見失い、自分のためだけに力を使うというこの世界では成功し難い道へ行ってしまうのだ。

(↑私の失敗談。自分の為だけしか考えてなかった。)

勉強ができるやつは、いつも余裕がある。

自分で一日中家に籠って勉強している人よりも、他人に勉強を教えて教えるかていで一緒に勉強する人の方が成績が良かったりするのだ。

(↑私は一日中家に籠って勉強していたが、成績も伸びなかったし友達も大切にしてなかったという失敗談)

世間に適応し、人を大切にすること。

だれかの役に立つために力をつけ、誰かを助けるために力を使うという志は思いもよらなかった力が向こうからやってくるのだ。

つまり、人生が自分では考えていなかった方面からチャンスがやってくる。

なんの為に力をつけるのか。

その目的を見失わない為に、日々の感謝を見落とさないように、

目の前のことをしっかり見るのだ。