自分は何をして生きれば良い人間なのか。

「自分は何をして生きれば良い人間なのか」

好きなことを仕事にする事は人生が楽しく、豊かになるかもしれない。

しかし、それは逆に言えば余計で無駄な固定概念を植え付けてしまうのだ。

好きな事を仕事にしたいと言うことは、自分のやりたい事を無理やり通そうと言う事である。

それには、エゴが絡んでいる。

自分のエゴを通そうと言うスタイルは時に誰からも需要がなく自分の満足という意味合いしか残らないのだ。

仕事とはビジネスであり、誰かからの需要がないとやって行けないのだ。

それはビジネスにおける話だけではない。

世界においても、自分のことしか考えない行為は誰からも興味が注がれないのだ。

本当に世界が必要としていることは、自分のやりたいこと、好きなことではない。

そもそも、その好きな事は本当に好きなのか。

私も書道が好きで続けて居たが、本当に好きなのは墨を磨って描く毛筆ではなく、ペン字などで書く硬筆だったのだ。

「私はコレが趣味であり“好きなこと”なんだ。」と、思ってもそのように勝手に思っているだけで、実際には間違って居たりするのだ。

コレが合ってるし、やってて楽しい、好きなことだからずっとやりたいと思っても、途中でなんか違うなって思ってビジネスをやめたり、路線変更したりするのだ。

つまり、何が言いたいかと言うと。

何かすることに、自分の感情を付随させてジャッジしない事。

簡単に言って、「自分が出来る事」をそのままやれば良いのだ。

自分の人生において、やらなくて良い事は、勝手に苦手だったり、する機会がなかったり、とにかく出来ない様に出来ているのだ。

自分の今置かれている環境で、その状況で出来ることで良い。

また、自分は何が「好きか」ではなくて、他人はなかなかやらなくてもなぜか自分には出来ちゃう事は何か?

なぜか出来ちゃう事というのは、偶然じゃない。

意味があるからあなたという人間に「それ」が出来る能力がありまた、それを今発動するタイミングが来たから、今の状況になっているのだ。

わかるだろうか。

自問するのであれば、単純に「何がしたいか」ではなく、「今、自分に出来る事は何か」という事なのだ。

私は実際には絵を描くことが好きなわけじゃない。

嫌いでもない。

私は何事にも好き嫌いという判断は余計であるから物事に色をつけない様にしている。

私にとって絵を描く事は、今それが出来る状況で、他人に描けない絵が描けるから描いているだけなのだ。

同時に、何のジャッジも通さずに、ただ、そういう時期が来たから自動で取り掛かる様に、そういう流れが来たから動いているだけなのだ。

世界は自動的に動いている。

それは生きること自体の良い指針となる。

私の場合。

「結婚する人と出会う時期が来た。」

「子供を授かる時期に来た。」

という人生の行事は全て流れだったのだ。

結婚する人と出会う時期を経て、数ヶ月後には結婚する様に周りが動く気配がしたから、それはそういう流れであり「結婚するんだな」と感じ、結婚に至った。

「結婚はもっとロマンチックでありそのタイミングは今じゃない」とか、色んな感情を付随させて逐一の行動を観ていたら、感情が邪魔でなかなか先に進まないのだ。

先にスムーズに進まないという事は停滞のエネルギーが増して、人生にもっと早く来るはずだった流れがどんどんどんどん遅くなってしまうのだ。

何事も人生をスムーズにして、自分の生きたい様に設計するという事は、皮肉にも自分の好き嫌いという感情を付随させないという事なのだ。

物事を淡々とこなし、行き着いた先が、自分の無理なく出来る範囲であり、それが今まで気づかなかったかもしれないが、本当に好きなことだったりするのだ。

何かに好き嫌いという感情をもてば、一度”これは嫌い“とレッテルを貼った時、本当はそれが好きということに気付くのがかなり遅れてしまうのだ。

別に、自分の感情を殺して生きろと言っているわけではない。

感情があるから人生はより面白いし色んな葛藤が生まれて楽しい。

しかし、感情が基礎となっている世界に生きないこと。

物事は自動的に起こっている。

必要なことは自分の知らないところで、既に万全に準備してある。

それを受け入れられるかどうかは自分次第なのだ。

受け入れる受け入れられないということにも感情が付いて回る。

自分の人生全て許すこと。

何か人生がうまくいかなくて悩んでいることがあるとすれば、「それは自分には出来ないのだ。」とそれを許すのだ。

頑張っても頑張っても、全然出来ないことは「あなたはそういうことをする人間じゃないということ」なのだ。

「私にはそれが出来ない。」「そんなことをする人間じゃない」と許すこと。

その代わりに他に出来ることは沢山あるということに目を向けるのだ。

そうやって一度、自分の人生の流れを許してしまうと、なぜか今までどれだけ頑張っても出来なかったことが簡単に出来てしまったりするのだ。

それすらもそういう流れであり、一度自分の人生を受け入れて許したのであれば

今までになかった流れが簡単にやってくるのだ。

それはもともとそこにあったのに

自分自身のジャッジが邪魔で見えにくくなっていたのだ。

好き嫌いというジャッジを付随しないで、人生の流れを淡々と見てみること。

そして、人生は流れだということだ。

自分のやるべき事は既に自分の目の前に転がっているのだ。