生い立ち1

ここで誰にも得にならないであろう記事を投入する。

私の生い立ちである。

生い立ち1というからには2や3がある。

なんとも迷惑な話だが、もし、興味がある人がいればお読みください。

1988.1.28

私は電気工事関係の仕事に就く父親と自動車整備関係の仕事に就く母親の元に産まれたのだ。

生まれた時は鬼かというくらいに鋭い目つき、怖い形相で威嚇していたらしい。

(今ではそのような形相ではない笑)

ありがたいことに、優しい父親と母親に大切に育てられてきた。

とにかく、病弱で病院にはしょっちゅうお世話になていたらしい。その度に母が病院に連れて行ってくれたと聞いている。

何度かの記憶はある。

2、3歳の時にもやしのヒゲが喉に詰まって苦しくて救急車に運ばれたこと、なんとなく苦しかったのはまだ覚えているのだ。

あと、4、5歳の時のテレビが頭の上に落ちてくる瞬間も笑

私は、2歳ごろから水泳に通っていたのだ。なかなか水に入れないとコーチがプールを抱っこして歩いてあやしてくれた事を今だになんとなく覚えている。

どれだけ昔でも、昨日でも感情が揺さぶられたことに関しては、どれだけ昔でも昨日のことのように覚えているのだ。逆に何気ない昨日が遠い昔かのように。

後々、私は水泳コーチになるが、この時の経験があったからなのだと思う。

小さい頃から、人を楽しませたり笑わせたりすることが大好きだった。とにかく明るい子だったと聞いている。

数年後、弟が産まれる。なぜか、私は小さな子供が大好きだったようで弟の世話を率先して見ていた記憶がある。

今でも、子供が大好きで、子供が頑張って生きる映画やドラマをつい見てしまうとこっそりと号泣しているのだ。(特に子供関係の映画にはかなり弱い・・・)

この頃から、自分は子供が好きな人間なんだという事を自覚し始める。と、同時になぜ自分は子供が好きなのかを機にするようになる。また、なぜ人には好きなものとそうでないものが元々備わっているのかが不思議だった。

幼稚園を経て小学校になると、周りの知らない人と一緒に行動することが多くなってくるが、もともと人見知りが激しい自分は、常に一人でいた事を覚えている。なかなか友達が作れなかったのだ。

遊びといえば、パズルなどの頭脳系が得意で好きだった。小学校ではカードゲームクラブ?のようなものに入籍していた記憶がある。

小学校高学年になって友達と呼べる人が何人かできるようになってきたが、基本的には休み時間も放課後も一人で行動していた事を覚えている。

小学校の頃から、正義感は人一倍強かった。誰かがいじめられていると敢えて割って入って行ってしまうような子だった。しかし、大きな体の子にはやっぱり怖いし勝てないから立ち向かったものの怖かったのだ。

その時があったからなのだろうか、空手部に入部しようと自ら決めたのだ。

また、小学校から始めたボーイスカウト。その活動でゴミ拾い、学校では毎年美化委員で美化活動と美化にはご縁があった。今思えば不思議である。

2歳ごろから続けている水泳もその頃もずっと継続していたので、スイミングクラブの中でトップの実力に上り詰めていたのである。

毎日毎日、スイミングがあるたびに母親が手作りでおにぎりを作ってくれていたのが忘れられないのだ。

中学生になり、大好きだった水泳も中学生のコースはないと言われ辞めざるを得なかった。

他に取り柄のあるスポーツがなく、チームの一員としてみんなと仲良くできる自信がなかったので、個人種目で戦える部活を探した。

なんか楽そうという理由で卓球部に在籍していたが、なかなか好きにはなれなかった。

自分に何が合っているのか、自分が何を求めているのか、自分とは何なのかでかなり迷っていたのだ。

中学生になっても、特に友達もいないので、休み時間は常に一人だった。

本当に語ることがない中学校生活・・・実際に何していたのだろうかほとんど記憶に残っていないのだ笑

ゲームボーイのポケモンが大好きすぎて、毎日毎日隠れてやりすぎて目が悪くなったのは覚えている。

この頃、同居していたおじいちゃんおばあちゃんが立て続けに亡くなったのだ。(まだ62歳なのに。。今思えば早いなぁ)同居している家族がどんどん減っていく喪失感?を味わう。

高校生に入っても、今までの小学校や中学校生活と変わらなかったのだ。

休み時間も放課後も、ただ一人で過ごしていく日々。

ただ、自分がエネルギーに敏感なことだけはわかってきた。とにかく教室にいるのが耐えきれなかった。いろんな人のエネルギーが混じり合って一緒にいることが苦痛だった。

とりあえず、換気をして欲しかったし、空気の気持ちの悪さにお腹が常に痛かった。テストにも集中出来なかったので、全くの白紙で提出した事も何度かある。

よくみんな一緒の場所に居られるなと思い、その頃から、私は人と違う感覚を持ているのだなと思いだしてきた。

言い忘れていたが、小学校でも中学校でも高校大学職場・・・ずーと、私は”変人”で通っている。それは私も自覚はしていた。

私は”変人”という分類が好きだったし、心地よかったから自ら変人と言うことにしていた。私はとにかく人とは別の変わった行動をする。また、ずっと仲間グループというのを持たなかった。

ご存知の通り、小学校以前の明るかった頃の自分とは打って変わって、かなり暗く変人気質な人間になってしまっていたのだ。

今思えば、人とどう接していいのかわからないし、人に嫌われることが怖かったのだ。

エネルギーに敏感で繊細だったので、両親の喧嘩や友達のウソや裏切りで簡単に心が消耗し、疲れてしまう人間だったのだ。

この頃から、この地球で上手く生きることができないことは感じていた。

次回へ続く。